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岐阜地方裁判所 昭和61年(行ウ)1号 判決 1991年3月27日

原告

下家徳美

右訴訟代理人弁護士

簑輪弘隆

鷲見和人

横山文夫

安藤友人

被告

岐阜八幡労働基準監督署長大野好朗

右被告指定代理人

古江頼隆

小山均

今泉常克

西野清勝

谷口実

後藤朝毅

長渡徹

大久保隆淑

豊田壽子

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  原告

1  被告が原告に対し昭和五八年一月二二日にした労働者災害補償保険法に基づく障害補償不支給処分を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告

主文と同旨。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、昭和四一年六月一日から昭和五二年一二月一九日までの間、(住所略)所在の三井農林株式会社美濃事務所に木材伐採夫として雇用され、同社の伐採現場において、チェーンソーを使用した立木の伐採及び木材搬出作業に従事していた。

2  右伐採現場において、原告は、連日一日平均五時間程度、チェーンソーの発する激しい騒音に曝露されていた。

3  原告は、右騒音に曝された結果、昭和四八、九年ころから耳鳴り、難聴を自覚するようになり、昭和五七年一二月二〇日、(住所略)所在の布村病院で聴力検査を受けたところ、平均聴力損失度、左耳四一デシベル(db)、右耳四三デシベルの、両耳神経性難聴であるとの診断を受けた。

4  原告は被告に対し、昭和五七年一二月二三日付けで、右障害について、労働者災害補償保険法一二条の八、一五条に基づく障害補償給付を請求した。

5  しかるに、被告は、昭和五八年一月二二日、右請求にかかる障害補償給付請求権が同法四二条に定める時効期間の経過によってすでに消滅したとの理由で、その支給をしない旨の処分(以下「本件処分」という。)をした。

6  原告は、本件処分を不服として、昭和五八年三月二二日に岐阜労働者災害補償保険審査官に対し審査請求をしたが、右審査請求は、同年六月二八日棄却されたので、さらに、原告は、同年八月二二日受付をもって、労働保険審査会に対し、再審査請求をしたが、右再審査請求も、昭和六〇年九月二七日に棄却され、右決定は、同年一〇月三〇日、原告に送達された。

7  しかしながら、本件処分は、労働者災害補償保険法四二条の解釈、適用を誤った違法な処分であって、取消しを免れない。

二  請求原因に対する認否

請求原因1及び2の事実のうち、原告が原告主張の事業所に勤務していたことは認め、その余は不知。請求原因8の事実のうち、原告が昭和五七年一二月二〇日に聴力検査を受けたことは認め、その余は不知。請求原因4ないし6の事実は認める。

三  被告の主張

1  除斥の経過

(一) 労働者災害補償保険法(以下「労災法」という。)四二条にいう障害補償給付を受ける権利は、障害補償給付の支給決定に関する行政処分を求める権利であって、具体的な障害補償給付金請求権を意味するものではなく、具体的な障害補償給付金請求権は、所轄労働基準監督署長の支給決定によって、初めて取得することとなるものである。すなわち、障害補償給付を受ける権利は、被災労働者が、労働基準監督署長あてに所定の請求書及び必要書類を提出し、労働者災害保険給付の可否を求める権利にとどまり、具体的な保険給付請求権は、労働基準監督署長による保険給付の支給決定を経なければ発生せず、また、不支給決定がされたときは、これを不服として行政事件訴訟による是正を求めることとなるのである。このように、障害補償給付を受ける権利は、右請求書の提出が同法四二条所定の期間内に提出されることにより、行使されるのである。そうすると、その提出前の時効の中断の観念を容れる余地はないし、また、右請求書が提出された後は、労働基準監督署長が支給の許否に関する決定を一定期間内に行わなくとも、時効中断のために請求を繰り返す必要はなく、右請求書の提出があったときは、右権利の時効の問題は起こりえない。したがって、同法四二条の規定は、保険給付支給請求書の提出期間を定めたものであり、同条所定の期間は除斥期間と解すべきである。

(二) 次に、労災法一二条の八第二項は、障害補償給付につき、「前項(障害補償)の保険給付(傷病補償給付を除く。)は、労働基準法七七条に規定する災害補償の事由が生じた場合に、補償を受けるべき労働者の請求に基づいて行う。」と規定し、そして、労働基準法七七条は、「労働者が業務上負傷し、又は疾病にかかり、なおったとき身体に障害が存する場合においては、障害補償を行わなければならない。」と規定している。したがって、労働者は、疾病にかかり、なおったとき身体に障害が存する場合に、障害補償給付の請求を行うことができるから、労災法四二条の障害補償給付を受ける権利は、右の事由が発生したときに行使しうる状態におかれたことになる。

そして、ここに「なおったとき」とは、「症状の安定、すなわち、その症状が固定し、以後の医療効果が期待し得なくなった状態」をいい、かかる症状固定の状態に立ち至ったときと解されている。そうすると、騒音性難聴は、その職場から離脱したときは、症状が固定しているのであって、同日から権利を行使し得るものである。また、いわゆる騒音性進行性難聴というものの存在は、現代の医学的知見に立脚する限り否定的に解せざるを得ない。

(三) そうであれば、仮に原告が騒音性難聴にり患していたとしても、それが「なおったとき」とは、原告が騒音発生源である職場を離れた昭和五二年一二月一九日であるから、原告の本件障害補償給付請求権は、その翌日から除斥期間が進行し、昭和五七年一二月一九日の経過によって消滅している。

2  労災法四二条の規定が除斥期間を定めたものでなく時効期間を定めたものだとしても、消滅時効が完成している。

(一) 労災法四二条の趣旨は、前記障害補償給付を受ける権利はその行使が容易であり、また、これらの権利関係をいたずらに長期にわたって不安定な状態におくことは相当でなく、煩雑な事務をますます複雑化するおそれもあるところから、五年の短期間消滅時効にかからせることにしたものである。そして、労災法は右消滅時効の起算点について特別の規定を設けていないから、民法一六六条の規定により、権利を行使することができるときから消滅時効が進行すると解すべきである。

(二) 本件において、原告は、前述したように、騒音発生源である職場を離れた日の翌日である昭和五二年一二月二〇日以降その主張の障害補償給付を受ける権利を行使することができたから、原告の本件障害補償給付請求権は、同日からその消滅時効が進行し、昭和五七年一二月一九日の経過によって消滅している。

三  右主張に対する原告の反論

労災法四二条の規定は、同条所定の労災に関する給付を受ける権利につき短期の消滅時効を定めたものである。そして、その時効期間は、民法一六六条一項の規定により権利を行使することができるときから起算されるが、本件のように徐々に進行する職業性疾病については、自己の症状が鑑別診断に耐えて業務上の認定が可能である旨の医学的判断を得た時点において、初めて保険給付請求権の行使が可能となるから、この時点において、時効の進行が開始するものと考えるべきである。したがって、具体的には、医師の診断書を得たときであるか、あるいは、民法七二四条を類推して損害を知ったときから起算すべきであって、本件における起算点は、原告が前記布村病院で聴力検査を受け、その診断によって、自己の聴力障害が請求原因一記載の作業によって生じたものであることを知った昭和五七年一二月二〇日ころから進行すると解すべきである。

また、仮に、被告の主張するように症状固定時を基準にし、かつ、進行性難聴の問題を除外したとしても、なお、職場離脱後において聴力は変動する。この変動は、離脱時に残存する感覚細胞の疲労が回復するか、又は不可逆的変化となって永久的な障害として残存するかの過程によって生じるものであり、この過程が終了することにより症状が固定するところ、その期間は、通常六か月程度とされているから、時効の起算点は、騒音職場離脱時ではなく、右職場離脱後六か月程度を経過した時点にすべきである(騒音職場離脱時に直ちに症状が固定するとすれば、被災労働者は、症状固定時期である職場離脱時においてはその症状を具体的に知ることができず、時効のみが進行を始めることになり、労働者の救済に背を向けた不当な立論とならざるを得ない。)。したがって、いずれにしろ、本件において、消滅時効は完成していない。

第三証拠(略)

理由

一  請求原因1及び2の事実のうち、原告が原告主張の事業所に勤務していたことは当事者間に争いがなく、また、請求原因4ないし6の事実も当事者間に争いがない。

二  右争いがない事実と成立に争いのない(証拠略)の結果並びに弁論の全趣旨を併せると、次の事実が認められる。

1  原告は、高校中退後、徳島県内において、人力を主とする農業及び林業に従事していたが、昭和四一年六月一日から昭和五二年一二月一九日まで、(住所略)所在の三井農林株式会社美濃事業所に、毎年四月から一二月の間の木材伐採夫として勤務した(右期間以外は、徳島で農作業に従事していた。)。

右美濃事業所では、原告は、内ヶ谷作業所に属したが、そこでの仕事の内容は、山中での材木の元倒しといわれる立木を倒す作業、あるいは、谷底にある土場と呼ばれる集材地において玉切りといわれる倒れた木を二メートルくらいに切り揃える作業であった。そして、右作業は、いずれもチェーンソーが用いられ、その作業自体から相当高度の騒音が発せられるものであって、特に、右玉切りの作業は、土場で、長さ一五ないし三〇メートルほどの倒木を作業員三、四人で各自がチェーンソーを用いて一斉に切断する作業であった上、土場には、山中から倒した木を架線で吊り下ろしてくるための集材機のエンジンが設置されていたため、右騒音も加わって、作業員相互での連絡は、まずタオルを振るとか体に触るとかして聴覚以外による方法で相手の注意を惹いた後に行う方法が採られていた。右作業は、一日九時間程度であったが、昼の一二時には休息時間がとられており、右休息時間には、チェーンソーと集材機が止められていたほか、玉切り作業は、一本の木について二〇分ないし三〇分程度のものであったため、次の作業にかかるまで三分から五分程度の間があり、その間、チェーンソーは止められており、結局、一日のうち、現実にチェーンソーを動かしているのは五時間程度であって、また、月平均の作業日数は、雨天や疲労時には休みとなったので、二〇日ほどであった。

原告は、右作業に従事していた昭和四八年ころから、手、指のしびれ、硬ばり、関節痛等の自覚症状があった上、職場での定期健康診断があって、昭和五二年の一一月ころに振動病の診断を受け、振動工具作業に従事するのをやめて転職したらどうかと勧められたため、前記のとおり、昭和五二年一二月二〇日に退職して徳島県に戻り、昭和五四年八月三一日まで建設業に就き、トラックの運転手と軽作業に従事していたが、昭和五四年九月一四日、徳島市内に在る徳島健生病院において振動病特殊健康診断を受けたところ、チェーンソーによる振動病(第Ⅱ期)と診断された。そして、原告は、右振動病により、労災補償を受給し、また、昭和五四年に三か月間、昭和六〇年には約二か月間、それぞれ入院した。

2  ところで、原告は、右チェーンソーによる作業従事中の昭和四八年ころ、耳鳴りがするようになり、同僚から会話の際に遠いのではないかと指摘されたり、テレビの音が大きすぎることを指摘されたりしたが、さらに、遅くとも昭和五〇年ころには、耳鳴りが常時するようになり、難聴を自覚した。また、当時原告と同じ職場でチェーンソーの作業に従事していた同僚も、耳鳴りや耳が聞こえにくくなったことを自覚しており、その原因が仕事によるものであることを話していた。しかしながら、原告は、右難聴の症状が比較的軽微であったことから、これを放置し、前記のとおり昭和五四年に徳島健生病院において振動病の診断を受けた際も、医師に対して、耳鳴りがすることや多少耳が遠いことを話したものの、聴力検査を受けることはなく、また、その後も進んで耳鼻科の医師にかかることはなかった。ところが、原告は昭和五七年になり、周囲の友人の話や労働組合の機関紙などによって難聴も労災給付の対象になることを知ったことから、同年一二月二〇日、徳島市内の布村病院において初めて聴力検査などを受けた結果、両側鼓膜に異常はないが、平均聴力損失度が左耳四一デシベル(db)、右耳四三デシベルであって、神経性難聴であると診断を受けたので、前記のとおり、同年一二月二三日付けで被告に対し障害補償給付支給請求書を提出した。

3  その後原告は、さらに昭和六二年二月九日から同年六月一五日まで、徳島大学医学部付属病院の難聴診療部大崎勝一郎医師の下で受診した結果、両側感音性難聴と診断された。右大崎医師は、被告の症状につき、耳鏡検査、耳管通気検査、チンパノメトリーの結果、外耳及び中耳に異常はないが、標準純音聴力検査(オージオグラム)によると、四〇〇〇ヘルツ及び八〇〇〇ヘルツと高音部において聴力が両耳とも七〇デシベル程度まで落ちていること、ベケシー型自記オージオメトリーのテストの結果、両耳とも四〇〇〇ヘルツで典型的に持続音の振幅の縮少がみられること、補充現象(リクルートメント)において陽性と判断され、語音明瞭度検査の結果は一〇〇デシベルで八〇パーセントの語音弁別能力を示していること、そして、音叉による聴力検査の結果は、標準純音聴力検査と矛盾はなく、一般尿検査、梅毒の血清学的検査(定性)及び耳のレントゲン検査の結果には異常がないことを総合して、病名を前記のとおり両側感音性難聴とした上、そのうちでも、内耳性難聴ではないかと診断されている。

4  騒音性難聴は、感音性難聴の典型的なものであって、その原因は、一定レベル以上の強大音に持続的に曝露されることによって、鍋牛の感音細胞に疲労による変性が起き、不可逆的に変化することにより生じる内耳性の難聴である。そして、このように感音細胞が不可逆的に変化するのは、一般に八五デシベル(A)ないし九〇デシベル(A)という生体の許容範囲を超える騒音の下で一日八時間程度の労働を継続することによって起こりうるものとされている(当初の段階では、一時的に感音細胞が疲労することによって聴力が低下するものの、労働を終えて騒音から解放されると聴力が回復するという一時的な聴力低下、すなわち、一過性の域値上昇にすぎないものであるが、この一過性の域値上昇が回復しないうちに繰り返し騒音に曝露されることにより、一過性の域値上昇が回復しなくなり、永久的な難聴が生じるものである。)。また、右騒音性難聴の病態としては、聴力障害は、高音域から始まり、初期の段階では、オクターブオージオメトリーにおいて、オージオグラムがO5-dipの型(四〇〇〇ヘルツ付近に限局した聴力障害)を示し、その高音域の聴力障害の進行は、騒音曝露の比較的速い時期において著明で、次第にその障害進行の速度は緩慢になり、さらに、聴力障害は、曝露期間に応じて、より高音域へ、次いで中音域、低音域へと拡がっていくものである。

ところで、このような騒音性難聴は、右騒音から離脱することにより、その要因となる物理的障害がなくなるから、難聴の進行は止まり、その後は進行も回復もしないものとされている(ただし、騒音職場離脱時においては、こうした永久的な聴力損失のほか、職場離脱時の直前に騒音の影響を受けて生じた一時的な聴力損失(一過性の聴力低下)が含まれているので、騒音性難聴に関する診断を下すためには、こうした一時的な聴力損失の消失(一過性の聴力低下の回復)を待って永久的な聴力損失を判別する必要があり、そのための検査に要する期間は、数週間から六か月程度とされている。)。そして、騒音を離脱した後に従前に受けた騒音が原因で難聴が進行するとする騒音性進行性難聴の存在は、医学的には一般に否定されており、その後に聴力の変化(悪化)があったとしても、多くは加齢的なものであるなど、他の要因に基づくものとされている。

三  右事実関係に基づいて検討すると、原告は、昭和四八年ころから耳鳴りがしたり、あるいは、同僚から耳が遠いのではないかとの指摘を受け、さらに、昭和五〇年ころから常時耳鳴りがして軽度の難聴を自覚していたのであるから、遅くとも前記職場離脱時には、自己の聴力に障害があることを認識していたものと認められる。また、原告の従事していた職場が相当高度の騒音に曝されていたこと、原告と同様に耳鳴りがしたり耳が遠くなった同僚がその原因がチェーンソーを使う職場にあることを話していたこと及び原告の難聴につき他に原因となる事情を見い出し難いことから推せば、原告は、右職場離脱時には、自己の難聴の原因が同職場の騒音に起因することを覚知していたものと認められ、この認定に反する原告の供述は採用できない。

そして、騒音性難聴は、騒音に曝されることによって発症し進行する一方、騒音から離脱すれば進行も回復もしなくなるものであるから、その症状固定時期は、騒音から離脱したときであり、本件においては、原告が前記職場を離脱したときと認めるのが相当である。この点に関し、原告は、騒音性難聴は、騒音職場離脱後なお六か月ほど経過しないと症状が固定しない旨主張するが、先にみた現在の医学的知見に従えば、原告の主張する右六か月の期間は、あくまでも検査に要する期間であり、この期間を症状固定時期に含めるのは相当でない。なお、原告は、右の六か月の期間を症状固定時期に含めないと、一方において症状固定としながら、被災労働者は、症状固定時期である騒音職場離脱時において、その症状を具体的に知ることができず、時効のみが進行を始めることになり、労働者の救済に背を向ける結果になるとも主張するが、労災法四二条の時効期間は障害補償給付支給請求権について五年とされている上、騒音による難聴を訴える被災労働者は、騒音職場離脱時若しくは右職場離脱時に近接して、多かれ少なかれ自己の難聴の症状を自覚しているものであるから、原告の右主張も理由のあるものではない(前記のとおり、本件における原告も職場離脱時には難聴を自覚しており、原告の障害補償給付の請求が遅れたのは、そもそも難聴が障害補償給付の対象になることを知らなかったという法の不知によるものである。)。

そうであるとすれば、労災法四二条所定の五年の期間を除斥期間とする見解に従うときはもとより、これを時効期間と解するとしても、原告主張の難聴は、原告が前記職場を離脱した日の翌日である昭和五二年一二月二〇日にはその症状が固定し、また、原告において、当時既に右難聴を自覚し、かつ、これが右職場における騒音に起因して生じたものであることを覚知していたものと認められるから、昭和五七年一二月一九日の経過により、原告の障害補償給付を受ける権利は消滅したものといわなければならない。

四  以上の次第で、原告の本訴請求はその余の点について判断するまでもなく理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 吉田宏 裁判官 三宅俊一郎 裁判官 浅見健次郎)

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